エロ同人誌の限界とエロゲーの使命
存在するはずの物語の世界観についてはまったくノータッチ、犯されるキャラクター以外は1コマだけなどの申し分程度の登場、普通の少女だったはずのキャラクターがなぜか淫乱女にすり替えられていて、モブ男は偶然手に入れた能力やアイテムによってキャラクターを蹂躙する。
オチや過程はわかりきっており、またはエロシーンをテンポよく進めるために不自然な進行がまかり通っており、漫画としてはまったく何も面白くないし、二次創作の要件も満たしていない。
これはエロ同人誌における「話」のテンプレートのようなものですが、一体このようにエロ同人誌はなぜ二次創作としての体裁を無視してヒロインを特定の性癖のために蹂躙する内容になってしまうのでしょうか?
これはエロ同人誌という媒体が、その制約の中において最大限の「効率」を目指した結果であると言えるでしょう。
読者を抜かせる事が至上目標であり、制作に割ける時間も予算もかなりシビアなため、エロと関係のない部分は最小限までスポイルされ、余剰したリソースがすべてエロ部分に注ぎ込まれるのです。
儲けが目当ての作者さんはそうそういないと思いますが、少なくともかかった費用を少しでも回収したいと思うならば、「効率」を意識せざるをえないのです。
稀に「話」が面白いと感じるエロ同人誌の作者さんもいます。
ただし、そういう人はつい最近まで全年齢を描いていた事が多く、18禁作者としての「効率化」を意識するようになれば、いつかはその面白さは失われてしまうでしょう。
エロゲーの使命とは
ところが、これがエロゲーとなるとまったく条件が異なります。
エロゲー、特にエロRPGには他の媒体が収容不可能な量の「要素」を詰め込む余地があります。
少し昔に流行った商業エロゲーというのは、抜くためのものではなく泣くためのものであり、エロはあくまでエッセンスであり、その主軸はストーリーだったのです。
東方鉄飛船BPは、30点のエロシーンとキャラ固有の着せ替えコスチューム、ドットアニメによる売春シーンなど、抜かせるための要素をレギュラー格のエロRPGとして用意しつつも、エロ以外も全年齢並に充実しており、リアルスケールの北海道をベースとした世界観、戦術性の高い戦闘、紅魔館キャラの過去回想などが盛り込まれています。
また、エロシーンを初回発生時にはスキップできるようにし、回想でも個別に見られるようにするという工夫も行っています。
これによって、基本的にはエロゲーの体裁をとりつつも、「ガチ陵○は好きではない」「レズは嫌い」「でもゲームはしたい」という複雑で微妙な顧客も楽しめる環境作りを行っているのです。
あまりエロを濃縮しすぎ、ゲーム部分をスポイルしてしまった作品は問題です。
プレイヤーからしてみると、ストーリーにまったく魅力がないため、見たいエロシーンを大方見終わって、ヒロインを街で好きなだけ露出歩行させられるようになったら、その時点でプレイヤーにとってのクリアとなってしまう恐れがあるのです。
エロゲーとはエロ以外の要素も内包できることがその最大の頂点であり、抜かせるためだけに特化したゲームというものは、逆に言えばプレイヤーからみて抜けなければまったくの無価値なゲームであり、ゲームが面白ければシチュや絵柄の好みの関係で抜く気が起きなかったとしても楽しんでもらうことができます。
買って抜いてもらえたんだからそれでいいじゃないか、とも言えるのですが、人は抜けば抜くほど性癖が細分化または先鋭化します。つまり、一度抜いてもらったシチュであっても、いつかは抜けなくなるのです。
初めてスカトロを見てドン引きした時も、初めてスカトロで抜いた時も、すべていつかは過去になってしまい、やがてただ出すだけのスカトロには満足できなくなってしまうのです。
つまり、エロに大きく依存する事は、自身の中にあるエロシーンの引き出しを非常に速い速度で消耗させてしまうのです。