広崎悠意 2019/02/05 05:59

音楽について

自分は音楽や音についてはえらそうに語る立場にはないんじゃないかとも思います。
 ほんとうに無頓着ですから。
 ここではその無頓着ぶりについて書こうと思います。

 自分が曲を作ろうと思ったのはX68000というパソコンを買って、ゲームのために音源を買って、その使い道を広げるために、ちょっとやってみようかなという感じです。
 まともな音楽教育を受けたことも無く、あまつさえ学生バンドに参加したこともありません。
 音楽コンテンツもほとんど購入しません。
 学生時代ギターをやってみようかなと思いましたが挫折しました。
 ただ、パソコンを使ってそれっぽいものが出来上がると嬉しいと言うだけですね。
 それは今でも同じです。

 正直言うと音楽を自分のライフスタイルの中心にしてしまう人は苦手ですね。
 それを緩和してくれたのは「スネークマンショー」の「良いものもある、悪いものもある」というやつです。
 音楽サイドの人間もそういうシニカルな面を持っているのだと言う、ちょっと安心感のようなものを得ました。

 まあ、音楽なんていう物は子供が下手くそにデタラメなフレーズを謳っていても聞く状況によっては感動してしまいます。
 音楽って、昔から儀式とか舞踊とか芝居に付属するもので、単独では成立しないんですよ。
 現在でもショーアップされたステージングとか、共有感の中で成り立っていると思います。
 音楽は、それ自体よりもそれを聞いた状況なんかが大事なんじゃないかと。

 そういう考え方が、音楽に心酔している人にとっては無知で無頓着なのかなとも思います。
 敵を作るかもしれませんが、なんというか、彼らの音楽へのそれ以上のこだわりや情熱が理解できないというのがあります。

 最近の音楽は特に「音作り」に特化しているように思います。
 人間の脳は、未知のものを刺激として喜ぶようにできています。
 聞いた事がないサウンドに興味が湧くののも、それを魅力として押し出すのも当然の事です。
 方法論として賛同できます。

 音作りそのものに関して、例えば「音圧戦争」とか言われる、音質重視の考えも、結局は心を動かすのは「聞く状況による」という事に思えてしまいます。
 もちろんリソースとしては、なるべく良い音質のほうが、どうとでも演出できるという意味で価値あるものと思います。
 ただね。
 結局は理想的なリスニング環境を設けるには金が必要なんですよ。
 高価な出力装置を買っても、音は部屋の環境に依存することが大きくて、吸音と反響のバランスで違うものになってしまいますよね。
 であれば、高い機材を導入して視聴環境を整えてもそれは幻想じゃないか……と……。
 部屋まで改築する人はごく少数でしょう。

 物語に音楽を重ねる者としては、それよりその音楽を聴く状況とかその気持ちを作ってやるまでの経過とかが大事じゃないかと。

 ……まあ、ド素人のわたくしとしては、その領域にも至っていないで……。
 エロゲのBGMなんて自分も消してプレイしてしまいますわ。
 だから、稚拙なBGMを消してプレイしても、もちろん文句を言う筋合いではないです。
「こんな曲しか作れないやつがナマイキ」とか言われても「ごもっとも」とか思っちゃいますしね。

 ただ、自分は「自分で自分のゲームのBGMを作れたよ」って事が嬉しいし、むやみな音楽やサウンドへの信仰に威圧されて「俺ごときが手を出しちゃいけない世界」というふうにならない方が、面白いんじゃないかとも思うわけです。

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